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片渕須直監督コラム「すずさんの日々とともに」

   昭和19年4月17日(月)。
   仕事から帰った夫・周作さんが、すずさんと段々畑に腰掛けて呉港に入港する戦艦大和をいっしょに見る日。この年この月の大和の呉入港は17日の一度きりしかない、みたいなことはあちこちで何回もしゃべったり、書いたりしてる。
   周作さんの仕事は「海軍録事」。海軍の中で裁判を行う海軍軍法会議所の事務官だ。軍人(武官)ではなく文官なのだが、法廷に出廷する仕事なので、軍法の厳格さを示すために出勤にあたっては制服着用となる。
   この点、同じ文官であっても工廠の技官であるお父さんの円太郎さんとはちょっと違う。円太郎さんは私服である国民服を着て仕事に通っている。工廠技官にも一応文官としての制服(実は周作さんのと同じだ)があることはあるのだが、購入費用だとかそもそも物資が潤沢でない時期であることとかを踏まえて、別に着なくてもどっちでもよいことになっていた。
   けれど、法の執行に携わる周作さんは、常に制服(文官従軍服)を着て仕事に臨まなくちゃならないのだった。この制服(文官従軍服)の色は、海軍軍人の第一種装と同じく「紺」だ。階級章もついてるし、画面にしたらたぶん、何も予備知識がない人には「軍人さん」に見えちゃうのかも、などと予感してしまっている。だいいち、物語の中のすずさんでさえ「録事」とは「六時に帰ってくる仕事」くらいの認識だったのだし。
   この4月17日の場面の印象としてはそれよりも早帰りしている感じもするのだが、「定時で切り上げてけえの」という周作さんの仕事の定時は午前8時半から午後5時までだったらしい。この辺はこうのさんがすでにきっちり調べておられて、そのノートのコピーをいただいている。
   で、その一日前は19年4月16日(日)で、自分のノートには「一日中快晴」「今日は日中は暖か」としか書かれていない。

  平成27年4月16日(木)。
   こうのさんとお茶を飲みながら打ち合わせ。ひとつには、『すずさんからの手紙』について、こんな感じで進めましょう、という方針みたいなものが具体的に見えてきたので、それを制作プロデューサーの松尾の方からお伝えするのと、あわせて当時のすずさんの暮らしぶりをこうのさんにもう一度思い浮かべてもらうよすがになるならと、こちらで調べた「当時毎日呉で何があったか」を記した自分のノート(Excelの表なのだが)をプリントアウトしたものを持参した。
   持参するためにプリントアウトしていて気がついたのだが、このエクセル表、あまりおもしろくない。ふつうに生活してるすずさんの上に、制度的にどんな変化が何年何月何日に押し寄せてきていたかの確認みたいなことが多くなってしまっている。
   当時の呉で日々どんなことが起こっていたのか調べていて一番面白かったのは、ある日、海軍工廠の背後にある宮原の高台で火事があった、という一件だった。火事で燃えたのも海軍の倉庫で、ここには航空母艦で使うためのガソリン火災用の泡沫消火剤が蓄えてあった。そこに消防車から放水していたら、泡沫消火剤がどんどん泡になって、それが高台から下の海軍工廠に流れ出し、「四船渠渠頭より造船部庁舎下まで積雪数メートルの如し」という状況になった。第四船渠は大和型戦艦も修理のために入渠できる一番大きなドックで公称の北の端にあたる。そこから工廠の中央付近にある造船部庁舎あたりまでの主通路(軍港鉄道の線路なんかも通っている道)がすっかり真っ白な泡で埋まってしまった。
   ただ、この火事は18年10月28日の出来事で、すずさんが呉にやってくるより4ヶ月も前のことなので、すずさん自身は知らない事件ということになる。
   それ以外に何かあるかな、と思ったら、当時若い主婦の方が毎日つけていた家事日記があったので、これも添えてこうのさんにお渡ししておいた。

『すずさんからの手紙』は自分としてもとにかく楽しみで仕方ない。もう何年か前になるのだが、原作上中下巻を読み通してしまって、それでもまだまだこのすずさんに会いたくて、「続編が描かれないかなあ」と夢想していたのが実現するのだ。これはクラウドファンディングに応募してくださった人に全員に送られることになる。最初にそういうことをこうのさんが発案されたとき、僕や浦谷なんか、
「自分たちにも送られてきて欲しいから、自分らもクラウドファンディングに応募しちゃおうか」
などと本末転倒なことを思ってしまったくらいだ。

   アニメーション映画『この世界の片隅に』制作支援のためのクラウドファンディングを始めようということになったとき、いわゆる「特典」みたいなものを買ってもらうカタチにはならないようにしたい、というのがこちらの希望だったのだが、「それで大丈夫でしょうか?」とこうのさんがいって「わたし、『すずさんからの手紙』というのを描きますから」と提案してくださったのだった。
   実は、そんなふうにこうのさんが発案された裏には、こうのさん自身の中に「『この世界の片隅に』に対しては少しでも何かしてやりたい」という気持ちが多くあるように感じられてしまう。
   最近のこうのさんのインタビュー記事などでも、『この世界の片隅に』を描いているあいだは自分が心に抱いたとおりに作品を貫き通すために孤独であったし、大事な子どもとして描き上げた作品なのに、読んだ人からは「『夕凪の街 桜の国』の二番煎じみたい」と捉えられてしまったことが多く、いたたまれない思いをした、と語られている。

「『この世界の片隅に』は自分ひとりのものみたいに思っていた。こんな繊細な作品を心に抱いてるのなんて自分ひとりだと思っていた。それがクラウドファンディングをやったら新記録達成だなんて、みんな今までどこに隠れていたんだよう!」
   というようなことをツィッターで語る方があったとこうのさんに教えて差し上げた。するとこうのさんも、
「ほんとですよ。今までどこに隠れていたんだよう! ですよ」
   といっておられた。
   あくまで個人的な気持ちなのだが、今回のクラウドファンディングは『この世界の片隅に』というまさに「たからもの」のような物語を産み出したこうのさんご自身への応援なのだとも思っている。そうした意味でももっと大勢の人に集まってもらえるといいな、などと思ってしまうのだった。

2015年4月22日