昭和20年6月のすずさん。
6月1日からは広の第十一航空廠の勤務時間が変更され、朝の出勤門限時間がそれまでの6時45分から一時間繰り上げられている。出勤定時が午前5時45分なのだ。同時に退庁時間も1時間繰り上げられていて、要するにサマータイムのようなのだが、実は勤務者を1時間早く帰らせて、食糧増産のための畑仕事を行わせようという意図のものであったらしい。
十一空廠へ仕事に出るおとうさん円太郎さんの出勤時間がこんなに早くなってしまうと、すずさんがお弁当を作ってあげることももう難しい。もちろん、十一空廠には食堂もありはした。それ以前に、この時期おとうさんに弁当を作る理由がなくなっていたことは、原作に見るとおりなのだ。
平成27年6月2日(火)、一日ふつうに仕事をして、早めに切り上げて東京駅に向かい、広島行きの最終の新幹線に乗る。広島は雨。
翌朝3日(水)、旧中島本町の大正屋呉服店である平和記念公園レストハウスの3階、広島フィルムコミッションの会議室へ出向く。午前中に「『この世界の片隅に』を支援する呉・広島の会」の発会発表が予定されている。
2011年5月、丸山、片渕で広島を訪れた際に、映画が出来上がってからではなく、映画を作っている間から応援していただけるとありがたいと呉と広島の方々に集まっていただいた。それ以来、「ダマー映画祭in ヒロシマ」でのワークショップや、「この世界探検隊」などの機会を与えていただけるようになり、「ヤマトギャラリー零」をはじめとしてあちこちに展示をさせていただいたりもしてきた。単なる地元おこし的な応援のあり方ではなく、この映画がどういう映画なのか、を体験していただいてともに楽しんでいただけるようになった上で、さらにそれらの過程で楽しみを共有していただいた方々もさらに加えて、今日のこの「会」としての発会発表に及んでいる。
広い会議室をプレスカンファレンス向きに整えるのも、みんなで行った。壁には広島と呉で行ってきたレイアウト展の素材を貼り巡らし、すずさんの食卓的な野草料理の実物まで並べられた。
遅れて丸山・真木両プロデューサーも到着して、記者発表が始まった。大年健二代表から「『この世界の片隅に』を支援する呉・広島の会」の発会が発表され、さらに真木プロデューサーからクラウドファンディングの結果を踏まえた映画そのものの製作発表が行われた。
旧中島本町住民の高橋久さん、高松翠さん、濱井徳三さんにもお越しいただいていて、発表会のあとにこれまでに描いた中島本町シーンの背景の確認をしていただいた。レイアウトではなく、色のついた背景は初めてお見せする。
大津屋モスリン堂の隣に住んでおられた高松さんは、大津屋のショーウィンドウの前にあった真鍮の手すりにもたれた背中の感覚を覚えておられるといい、濱井さんは濱井理髪館のドアの握りを握った手の感覚を覚えておられるという。高橋さんは町に満ち溢れていた音のことを話された。町の細部が絵に描かれ、視覚的な姿が出来上がってきたその先には、まださらに別の感覚の世界が待ち受けているのだった。
6月4日(木)、広島県立美術館の新県美展の映像の部の審査を、実写の時川英之監督とふたりで行った。時川さんとは何年か前のダマー映画祭でご一緒して以来、こちらのやっていることに興味を持ってもらっている。ご両親が呉の出身なのだそうだ。
新幹線で東京に戻る。
6月5日(金)、一日ふつうに仕事する。
6月6日(土)、始発から二本目の博多行新幹線で、小倉に向かった。北九州市漫画ミュージアムで「『この世界の片隅に』レイアウト展 ~戦時下の暮らしを調べ、描き、残す~」が開催中なのだが、今日は監督トークの時間を与えていただいている。
トークは13時開始、14時半までの1時間半。満席に近く埋まった聴衆のみなさんにはひじょうに熱心に聴いていただくことができたようで、一安心。
レイアウト展自体は7月10日まで開催している。
さらにその夜には、場所を市内のカフェに移して、「科学夜話 Caffepedia 第七十三夜 「戦時下の暮らしを調べ、描き、残す-アニメ映画『この世界の片隅に』の試み」と題した、飲食ありのトークになった。18時頃から会場のお店にはすでにお客さんが来ておられ、19時半から20時半にかけては、例によってプロジェクターに資料映像を映写しつつのトークを行った。
お酒を飲める場所だったので、その後はフリータイムとなり、お客さんと席を並べて話し込んだ。市内のある土地を舞台にドキュメンタリーを撮っておられるという女性がおられ、お年寄りたちにその土地の昔の姿のことを聞かせてもらうのだが、なかなかイメージするのが難しくって、と話しかけられた。もう一度パソコンを開いて、広島や呉の町並の一軒一軒についてどんなふうに調べていき、自分の頭の中でそれらの位置関係が関連付けられるようになって、町としてイメージできるようになっていったかを、実例を示しながらお話しした。色々な写真や地図上の記録をこんなふうに関連させていって、こんなふうに時系列を作って並べていった、というこちらのこれまでの道のりを色々お見せしていたら、その方にも呉の町の片隅の歴史と変容ぶりが時系列をもってイメージされていったようで、最後にこんな感想を残された。
「タイムマシンみたいです」
まさにそれこそ自分がこうした方法を通じて感じていたことだったので、自分以外の人も同じ感覚を味わうのだとわかって、うれしかった。
気がつくと23時半になっていた。この日はいったい何時間しゃべったのだろう。
6月7日(日)、始発の新幹線で東京に戻る。仕事場に直行する。