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片渕須直監督コラム「すずさんの日々とともに」

   昭和20年6月8日(木)。
   沖縄戦が最終段階に入り、次に米軍が上陸してくるのは間違いなく九州、四国、本州のどこかだろうということになり、最高戦争指導会議で、「本土決戦」が至上方針化されている。この方針を具体化するべく、翌9日には国民義勇兵役法案と戦時緊急措置法案などが帝国議会に上げられている。
   この前者が定めるのは、
「15歳から60歳までの男性、17歳から40歳までの女性を可能な限りすべて国民義勇隊に入れて組織化する」
   という国民皆兵化をはかるもので、動員された一部は武器を持った戦闘員としての国民義勇戦闘隊として編成されることになる。戦闘員である以上、それを示す徽章や軍服を着させなければ国際法上まずいのだが、当然そうしたものが行き渡るはずもなく、ふつうの市民としての服装の上に「白地に黒文字で『戦』の一文字を記入した腕章をはめることでそれに充てる」と規定されることになる。国民義勇戦闘隊の指導書みたいなものがあり、その中身を目にしたことがあるが、武器として「金槌」「空手」みたいなものが挙げられていて、参った。
   そうした話は、当事者であるはずのすずさんの耳に入ることなく、一般国民の頭間の遥か上方で推移している。
   その一年前の19年6月のすずさんの周囲はもっとのどかだった。麦刈りの季節だったはずだ。

   平成27年6月。
   前の週には各地を飛び回るスケジュールだったのだが、それが一段落ついて、われわれが「作打ち」と呼んでいる作業である新しいシーンを作り始める作画打ち合わせが続いている。
   6月10日(水)、作打ち17カット。
   6月11日(木)、作打ち21カット。
   6月12日(金)、作打ち23カット。
   各原画マンには、それぞれのシーンを描いてもらうに当たって、資料を渡さなければならない。今現在のわれわれの身の回りの世界が舞台ならば、些細な部分は「ここはお任せします」といって済ませてしまえるのだが、今回の場合はなかなかそういうわけにいかない。そうした作打ちに備えてあらかじめ色々な資料を揃えたりして来てはいるつもりなのだが、とはいえ世界を構成する全部の要素を網羅しつくせるものでもなく、作打ちの直前、あるいはその最中にあたふたしてしまうことに結局はなる。それに加えて、実のところ準備期間が長すぎたので、一度調べてすでに「これはこう」と押さえていたはずのことをこちらが忘れ始めてしまっていることもある。すでにずっと前に描いておいたレイアウトを作打ちの場に取り出しては、「ここに描いてあるこれはなんだったけ?」と描いた本人である浦谷さんと、描かした監督とで首をかしげることになってしまったりもする。
   この週の作打ちでちょっと問題になったのは、北條家の仏壇の設定を起こし忘れていたことだった。仏壇なんて写真資料を眺めて描けばいいんじゃないか、くらいに思ってしまっていたのかもしれない。
   少し前の頃、仏前結婚式の場面の作打ちに向けて支度を整えていたときに、お経を読む住職さんが原作ではちゃんとした袈裟を着ていなくて、首にかける輪袈裟だけの略式っぽい格好なのは大丈夫なのかどうか、こうのさんに確認しなければならなかった。登場する仏教は地域的に「安芸門徒」と呼ばれる浄土真宗であることが間違いないので、宗派をどうするかと迷って混乱することはないのだが、この宗派独特の決まりごとを掴むのは、宗教的にノンポリな自分たちの世代にはなかなか難しい。
   この週の作打ちの場合は、「仏壇」だった。
   ここに三宅君という人が登場する。しばらく前にこの作品の演出助手の募集を行ったのだが、それに応募してきて採用となった人だ。彼はこの映画にスタッフとして加わるために、わざわざ広島から上京してきたのだった。打合せの間にちょっと席を外していたな、と思ったら、彼は実家のお母さんに電話していた。広島在住のお母さんはさらに仏具屋さんに電話して調べてくれ、たちまちちょっとした知識が手に入った。
   原作で北條家の仏壇が描かれているページでは、線香の煙がどこから立ち昇っているのか、ちょっと読み取りづらかったのだが、三宅君が、
「真宗では線香は、長いまま立てるのではなく、短く折って寝かせます」
   と教えてくれたので、ああ、だったらこの辺にこうやって置いてあるんだな、と理解できた。それを絵に描いてみたら、
「そうです、こういう感じです」
   と肯定してもらえた。実は、自分自身の父の実家も浄土真宗のはずなのだが、そういうことは全然教えてもらっていない。
   さらに、原画マンにレイアウトを描いてもらう上で、北條家の裏の段々畑には何が植わっているのか、というのも明確化しなければならなかった。これはもちろん季節ごとに異なる。江戸時代にそれが作られた頃、広島南岸から瀬戸内の島々にかけて広がる、「耕して天に至る」といわれた段々畑は麦作のためのものだった。ふつうの田んぼなら麦は裏作なのだが、水が豊富でないために表作の稲が作れない。江戸中期に甘藷(サツマイモ)が到来して、やっと夏場に作る表作ができるようになった。今は、島々の段々畑にはレモンなどの柑橘が植えられているのだが(アニメ映画の『ももへの手紙』の中にその描写がある)、これは戦後の昭和20年代後半に三カ年計画として新しく転作を図ったものだ。
   占領軍が撮影した昭和22年5月の呉市の航空写真を見ると、長ノ木あたりの段々畑は、作物が畝を成しているところがはっきり写っていて、麦が作られているらしいことがわかる。呉市の農業統計はいくつか持っているのだが、「麦」と大雑把にしか書かれていない。前に作った映画『マイマイ新子と千年の魔法』では、山口県防府に広がる広大な麦畑を描いたが、あれは大麦、より詳しく述べればビール麦だった。
   演出助手の白飯さんが、国立国会図書館のデータを見つけ出して来て、
「戦後ですけど、呉市は広島県内でもちょっと特殊な感じで裸麦が多いです」
   と教えてくれた。ちょっと似たような話は別のところでも読んでいたので、
「じゃあ、今回は裸麦で」
   ということになった。裸麦もまた大麦の仲間だ。
   すずさんもまた、新子や貴伊子と同じく、風にそよぐ青麦を背に立つことになる。

2015年6月18日