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片渕須直監督コラム「すずさんの日々とともに」

   昭和20年6月22日(金)。
   すずさんの周りの出来事。
   戦時中は、不足しがちな電力を軍需工場での生産にできるだけ回すため、電休日が設けられていた。今でも床屋さんが月曜日休みなのは、月曜日が電休であった名残だとされている。戦時中に月曜が電休でなかった地方では、床屋さんの休みが月曜以外の曜日になっている土地もある。
   それ以外にも、一日の中で電気を送電しないことになっている時間帯が設けられていた。一般家庭では昼間は電気を使うまでもないだろうという理由からだった。しかし、この20年6月22日からは、広島一帯に電気を供給する中国配電が24時間一般家庭向けの送電を再開している。ラジオで流れる防空情報を市民の耳に届かせなければならないからだ。
   ラジオの防空情報放送は、陸海軍の司令部に入る情報と直結した内容になっていたので、実況放送のように逐一時系列に沿って詳細にわたって行われた。
「どこどこ上空に敵機何機、西へ向かう」
   というように。
   最終局面では、こうした一般向けの放送を利用して、軍が高射砲を指揮するところにまで至る。
   この日の午前中にあったのは、

午前8時17分、内海西部海面警戒警報発令
午前8時41分、呉地区空襲警報発令
午前9時31分、高畑、螺山、飛渡瀬砲台砲戦中
午前9時35分、灰ヶ峰砲台砲戦中

   この6月22日の空襲は、呉海軍工廠の南の端に位置する造兵部だけを目標にしたものだった。一般市街地空襲ではなく、純然たる軍事目標の破壊を目的としたものだったので、投下弾種は焼夷弾ではなく爆弾に絞られていた。250キロ爆弾、500キロ爆弾、1トン爆弾が、わずか数百メートル四方のエリアに総計800トン近く投下された。これらの爆弾には、コンクリートを突き破り、地中に入ってから爆発する1/40秒遅動信管が多く使われた。このように地中に貫入してから爆発するものは「地雷弾」と呼ばれ、大きなクレーターを残した。大量に投下された爆弾の爆発する地響きは、呉の市街地を挟んで数キロ離れた反対側の灰ヶ峰山麓の家々までも揺さぶったという。
   中には空襲終了後の日本側による消火作業や修復作業を妨害するために時限信管を着けたものも混ぜられていた。この場合、最短約5分より最長304時間までの時限爆弾となる。
   この6月22日はすずさんにとって運命的な日になってしまう。

   前に作った『マイマイ新子と千年の魔法』では、監督舞台挨拶を繰り返した。公開前の試写、山口県での先行公開、公開日の新宿、さらにその後の阿佐ヶ谷でのレイトショーでは毎晩。地方の上映であっても、スケジュールが許す限り訪れた。一般上映が終わってから後も、地方の施設や博物館などで上映があることを知ると、こちらからお願いして舞台挨拶の機会を作ってもらった。フランスの映画祭や、アメリカのコンベンションなどでも挨拶に立った。そういうときには、単に挨拶するというより、描かれる時代や舞台についてのちょっとした解説を交えることにして、できるだけ楽しんでもらえる内容にしたつもりだ。
   『マイマイ新子』の舞台挨拶は途中までは「今回で何回目」と数えていたのだが、そのうちにもう何回繰り返したのだかわからなくなってしまった。おそらく200回くらいにまでなっていたのではないか。
   『マイマイ新子』は公開当初に「集客できない」とレッテルを貼られてしまった映画なのだが、けれど、そうして自分が赴いた場所では、それなりの数のお客さんに恵まれることが出来ている。次に作るものは映画の完成前からこうしたことをしていくのも大事かもしれないと思ったのだった。
   2013年頃からは、次に作る映画『この世界の片隅に』に関して人前に出て話をさせてもらえる機会も増えてきた。広島で開催されるダマー映画祭 in ヒロシマ(最近ではは広島国際映画祭と改称)では、映画祭代表の部屋京子さんから「映画完成まで毎年映画祭の中にワークショップの時間を取りますから」といっていただいている。アニメスタイルの小黒祐一郎さんには「ここまで調べた『この世界の片隅に』」と題したイベントを3カ月おきに繰り返していただいた。
   はじめはほとんど自主制作みたいなものだったから、そうしたことも自分の裁量でできたのだが、今はきちんとした製作委員会ができている。プロデューサーになってもらった真木太郎さんに、そうしたことは今後はどうしましょうか、と尋ねてみたことがある。真木さんからは明快に、
「宣伝は続けっぱなしで行きましょう」
   という答えが返ってきた。

   平成27年6月20日(土)は、浜松でパネルトークを開かせてもらった。これはファン主催のイベントだった。『マイマイ新子』の舞台である山口県出身でこの付近に住んでおられる方があり、ぜひ自分の居住するエリアでも『マイマイ新子』を上映してもらいたいと、浜松の映画館浜松CINEMAe~raに働きかけて下さって2週間の上映が決まったことがある。今回の『この世界の片隅に』イベントも、このときリクエストを出された方が企画し、CINEMAe~raの館主さんが後押しして下さって実現したものだった。お客さんのかなりの数が、これまでアニメーションとは縁のないような方だったのだが、それなりにおもしろがっていただいたと思しいご感想がいくつか届いている。こうしたところから地道な存在のアピールを繰り返していくのが大事だと思っている。
   次の週末、6月27日(土)、28日(日)には、広島で日本マンガ学会の大会が開かれ、併せて「広島メディア芸術振興プロジェクト~広島ゆかりの作家、作品展」が開かれる。ここでも『この世界の片隅に』の展示とトークをさせていただけることになっている。
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1432100443113/

   広島では、前年ゴールデンウィークに最初のレイアウト展を開かせてもらった。そのときの監督トークの時間で客席から質問を募ったところ、手を挙げたのがこうの史代さんで、
「漫画は白黒で描くからよいのですが、アニメーションでは色をつけなければなりません。その辺はどのように?」
   という質問をいただいてしまった。
   今回27~28日の展示では、こうのさんが描いた原作の複製原稿と、その同じカットを色つきの映像にするためにわれわれの美術スタッフが作りつつあるカラーデザインボードを並べて展示しようと思っている。われわれの作業も、いつまでも鉛筆描きのレイアウトの段階に留まってばかりもいられないのだし。

2015年6月25日