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片渕須直監督コラム「すずさんの日々とともに」

   昭和19年7月のすずさんの周辺。
   呉市はそれほど灯火管制をやかましくされずに来たのだが、中国大陸奥地を基地としたB-29による本土空襲が6月15日から八幡を目標に始まり、7月7日夜には佐世保が空襲されたことなども受け、7月15日から、
「当分の間毎日2200より灯火警戒管制実施を令す」
   ということになった。戦時中の灯火管制というと、夜は真っ暗という印象をつい抱いてしまうのだが、実態は案外そんなもので、22時までは街中は明るかったみたいだ。8月上旬に呉に入渠した空母瑞鳳の乗組員が、「まだ呉の町では灯火管制がない」と書いている。18年秋から19年に入って最初の数ヶ月といった時期に撮影された黒澤明監督『一番美しく』(舞台は関東地方)でも、街灯に覆いも何も取り付けられていないのが写し出されている。

   昭和20年7月のすずさんの周辺。
   この頃は呉でも警戒警報が鳴り続けている。前年にはあっぱっぱ(簡易なワンピース)を着ていられた女性たちも、この夏は退避に次ぐ退避で、走ることが出来るもんぺをはき続けになっていただろう。東京の女性の回想では、いつ逃げなくてはならなくなるかもしれないので、寝るときも靴を履いたまま、頭には鉄帽をかぶったまま、ということになってしまっていたらしい。鉄帽は内側に布のライナーがあって、かぶったまま寝転ぶと中で頭が宙吊りになった状態になるので、存外寝やすくはあったらしい。
   20年7月23日以前にもたびたび呉上空に敵機が現れ、爆弾の投弾も行われていたが、24日には呉周辺に残存する日本海軍艦艇の掃討作戦が始まる。これは、米海軍機動部隊からの艦載機と、沖縄から飛来する戦術爆撃機の両方を使って29日まで連続して行われた。ほんとうに末期的な状況といってよいのだが、これは実は本土上陸作戦のための前哨戦に過ぎない。
   こうした中、広島や呉、江田島に艦載機が飛来する最中である25日には、厳島神社で恒例の管絃祭が行われている。 店がひとつも出ていない寂しいお祭りだったという。宮島の管絃祭といえば、すずさんの故郷・江波の漕伝馬がつきものだ。そしてその12日後には江波の衣羽住吉神社で神幸祭りが行われる。昭和20年ではそれは8月6日にあたった。

   平成27年7月26日(日)、朝のフライトで羽田から新千歳へ向かう。すずさんたちが防空壕に入りつつ恨めしく眺め挙げたかもしれない空を飛んでいる。飛んでみると空そのものはなんということもない空だ。そう思いつつ着陸したら、調布で飛行機が墜落したというニュースが待っていた。
   北海道まで空を飛んだのは、日本心理学会の公開シンポジウムが札幌の北星学園大学であり、例年開催のこの公開シンポジウムの今年のテーマは「アニメの心理学」というもので、企画者である横田正夫先生から、僕も話題提供者として指名を受けてしまったからだった。ほかに話すのは、アニメーションの動きを知覚心理学的に分析することにかけてはツートップである吉村浩一先生(法政大)と中村浩先生(北星学園大学短期大学部)、それに臨床心理の横田正夫先生(日大文理学部)という顔ぶれだった。吉村先生にいわせると、「この4人はほうぼうでツルんでる」ということになる。これまでもアニメーション学会や映像学会でたびたび公開研究会を行って来た仲間内という感じだった。
   印象的だったのは、これまでの研究会を通じて「用語の統一」を創作側である僕の方から呼びかけて来た結果として、吉村・中村両先生がごくふつうに「1コマ打ち、3コマ打ち、先ヅメ、後ヅメ」とアニメ業界の用語を取り入れて話されるようになっていたことだった。
   そうした上で、日本のアニメーションで一般的な3コマ打ち作画について積極的な評価を行おうという姿勢も見ることができた。
   人間が映像一般の中の動きを捉える原理を「仮現運動」であるという従来の定説に対して疑問が投げかけられ、しかし、3コマ打ちアニメーションでは仮現運動を考えるべきなのかも知れず、そこで仮現運動を「Short Range AM」と「Long Range AM」(AMは仮現運動のこと)に二分する考え方もあらためて示されたりもした。
   臨床心理の横田先生からは、動きも含めたアニメーション自体の傾向について「鈍重←→軽快」という評価軸を設ける考え方も示された。
   実は、『この世界の片隅に』で行っている作画は、「3コマ打ち」でありつつ「Short Range AM的」「非軽快」という考え方で行っているので、三先生の語られたことを実証的に行っている端的な例になりえているような気もした。なにより、すずさんは非軽快にねちねちとしか動かない人なので、作画上の割り幅が小さくShort Rangeにしかなり得ないのだった。しかし、それが全うできるなら一定の生命感を生み出すことが出来るのかもしれない。
   シンポジウムの最後には、中村先生から「今作っている作品の紹介をぜひ」といっていただけて、はからずも『この世界の片隅に』の宣伝もさせてもらうことが出来た。といいつつ、ポスター自体がすずさんと晴美ちゃんをモチーフにしたものだったのだが。
   http://www.psych.or.jp/event/img/2015/anime.pdf
   この公開シンポジウムは今度は10月4日に同じメンバーで、東京世田谷の日本大学文理学部でも行うことになっている。現状ですでに参加予約がいっぱいになりかけている、とのことだった。

   終了後の懇親会では、『この世界の片隅に』のパイロットフィルムや『これから先、何度あなたと。』も三先生に観ていただいた。ふだん、ポイント・ライト・ウォーカーなどを使って、どういう要素が「歩きの動き」であると人に認識させるのか、という研究をされている中村先生から、「歩きの中に表情がきちんとある」と評価していただけたのがありがたかった。このとき出てきたカニも魚もたいへん美味しかった。
   実はこれまで、本州と九州には立ったことがあったのだが、四国と北海道は個人的には未踏地となっていた。今年に入って、マチ☆アソビで四国に行くことができ、今回こうして北海道に行くことができた。こんなところも『この世界の片隅に』のおかげなのだ。
   けれど、「夏休みの北海道旅行」は長くは続かない。翌日7月27日(月)午前中の飛行機に乗って、昼過ぎには南阿佐ヶ谷の仕事場に戻った。

2015年7月29日