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片渕須直監督コラム「すずさんの日々とともに」

   2015年10月17日(土)、毎年この時期に練馬区が開催する「練馬アニメカーニバル」は、東映動画(現・東映アニメーション)や虫プロダクションなどがあって日本のアニメーションのふるさとであることを自認する練馬区ゆえのイベントなのだが、区内にある日本大学芸術学部でアニメーションを教える講師をやっているというご縁もあって、もう3年連続で片渕のコーナーを作っていただいている。
最初の年は小黒祐一郎さん、2年目は氷川竜介さんと一緒にトークに登壇したのだが、3年目はこうの史代さんとご一緒することになった。
   作品上映もあって、今年は『名犬ラッシー』の第1話、『花は咲く』、それから『この世界の片隅に』のパイロットフィルムと「冬の記憶」をかけてもらえることになった。
『この世界の片隅に』はもちろんこうの史代さんの原作であり、『花は咲く』ではキャラクターを作っていただいたのだが、もう20年近く以前の1996年に放映された『名犬ラッシー』にもこうのさんとのご縁があった。

   2010年夏に『この世界の片隅に』の映画化を立ち上げようとしたとき、まず原作者の方のお許しを得ておきたいと思った。当時完成したばかりの『マイマイ新子と千年の魔法』のDVDを見ていただければ、ひょっとしたら『この世界の片隅に』の作風から案外遠くない土壌に立っていることをわかってもらえるかも、と思ったからだった。どうしたら連絡が取れるだろうといろいろ手をつくした末に、結局正攻法で原作の出版社である双葉社に連絡することになったのだが、『マイマイ新子と千年の魔法』の広報をやっていた武井君に電話してもらったところ、その電話に出た双葉社ライツ事業部の方が、
「ひょっとして、『マイマイ新子』のスタッフの方々ですか? ちょっと待って下さい、社内で態勢が整えられるかやってみます」
   といって下さった。この方はこの少し前に『マイマイ新子』をご覧になっていて、『この世界の片隅に』と「関係がある」という感触をもっておられたようだった。
   それから、双葉社に『マイマイ新子と千年の魔法』DVDと片渕の手紙を託して、こうのさんに送っていただいた。しばらくして、こうのさんからの返事が届いた。『名犬ラッシー』の監督さんですよね、というようなことが書かれていた。双葉社内部ではこちらが提案したアニメーション映画化についてまだいろいろ調整しなければならないところがあったようだったが、原作者の鶴の一声「運命なのですから」がすべてを説き伏せてしまったようだった。

   あとでうかがったことと合わせれば、こうのさんは1996年の『名犬ラッシー』本放送を観て下さっていたらしい。そして、その物語の中で、子どもたちが犬と遊ぶ日常がずっと続くことに感じるものをもたれたようだった。劇的にしようと思えばいくらでも劇的に仕立てることだってできるのに、これはそうではない。こうした日常生活の機微を延々と描き続けるということひとつに、実はどれほどそれができる土俵を確保するための闘いがあったことなのだろう。自分もそうした作家になりたい、と、最初の商業誌連載作品『街角花だより』を描いていた時期のこうのさんはそんなふうにまで思って下さったとのことだった。

   練馬アニメカーニバルのトークでは、『名犬ラッシー』から5年ほどして描かれたこうのさんの漫画『かっぱのねね子』の第7話をスクリーンに映してみた。こうのさんによれば、このエピソードには『名犬ラッシー』第6話「嵐の中をかけぬけろ」へのオマージュが潜められているのだということだった。いわれてみると、大雨で洪水になった町の通りでかっぱのねね子が看板に乗ってサーフィンするその濁流の描き方に見覚えがあるような気がした。
「それよりも」
   と、こうのさんはその数コマ前を指差した。洪水の水に入るとき、まず片足からそーっと水に漬けてみる、というそのねね子の仕草が『名犬ラッシー』ゆずりとのことだった。

   この日上映した『名犬ラッシー』の第1話「ひとりじゃない」はこうのさんは初見だとのことだった。
「30分の中にこれでもかとお話が詰め込んであって」
   詰め込みすぎじゃないのか、とさえいわれてしまいそうだったのだが、実はこの1話はシナリオがまだないまま、美術設定も、主だったキャラクター数人のほかは何の設定も無いまま絵コンテを描いたものだった。この最初のエピソードの中に、その後の展開につながる要素を作り出しておきたかったのだ。2ヵ月半後に迫った放映に間に合わせるために、Aパートわずか1日半、Bパート2日間くらいで切った絵コンテだったのだが、今、自分で見直しても、どの登場人物も活き活きして見えた。

   一度形になったものはその形のままずっと生き続ける。われわれが作ることができるのは「映像が焼き付けられたフィルムという物体」に過ぎないのだが、たとえ大勢の目に触れることがないようのものでも、何人かの人の心に住処を移して永らえてくれる。

   練馬アニメカーニバルで上映したあと、『名犬ラッシー』のことを思い出して下さった人々の声が、ツィッターの上で数多く見受けられるようになった。
「みんな今までどこにいたんだよう」
   というのは、「『この世界の片隅に』を執筆中は孤独だった」というこうのさんが、アニメーション映画化のクラウドファンディングで大勢の支援が集まったのを見て漏らされた言葉。
   今、自分の中にも同じ言葉がある。

2015年10月23日