昭和16年12月8日頃のすずさんの周辺についても一応考えておかなくてはならない。
この日は、朝からラジオの臨時ニュースが対米英への開戦を伝えた。真珠湾攻撃やマレーへの上陸作戦が行われて、しなくても良かったかもしれない戦争をはじめてしまったその日だ。
原作には描かれていないこの頃の日々、16歳のすずさんは何をしていたのだろう。
近所に住む水原哲は海軍に入っていない。その年度の12月1日に満17歳を迎える年齢に達していないと、海軍への志願資格はまだないのだった。彼は年をまたいで昭和17年5月になってようやく、海軍志願兵となる。
すずさんはまだもんぺをはき始めていない。昭和13年3月に尋常小学校を卒業したすずさんは、その年4月から2年間、高等小学校に通っている。一見原作にはそんなこと書かれていなさそうに見えるのだが、丹念に読むとちゃんとそういうことだと理解できるようになっている。高等女学校へ進学する同級生のりっちゃんは卒業とともに小学校の校舎を去るのだが、その後も同じ小学校の中ですごすことになるはずのすずさんはまるで校舎を懐かしんでいない。
昭和15年3月にはすずさんが高等小学校を卒業し、翌年には年子の妹のすみちゃんが卒業しているはず。
『この世界の片隅に』を手がけ始めた最初の頃には、高等小学校を卒業してからしばらくのすずさんは、何か仕事をしに出かけてたのかもしれないと考えてみたこともあった。例えばお店の店員とかなのだが、どうもそういうことが似合わなさそうなすずさんではある。かといって、家の中で箱入り娘ということもまずあり得ない。
結局、すずさんは浅蜊か何か、町まで荷車を引っ張って貝を売りに出かけてたのだろうということになった。この頃のすずさんはスカートをはいているはずだ。原作にも、高等小学校卒業後にスカートをはいているすずさんを描いたコマがちょっとだけある。
ちょっとそういう画面も作ってみたくもある。またしても広島の町中を描かなければならない。今度は猿楽町にしてみた。写真と首っ引きになる。猿楽町のその一角を収めた写真に写った建物の看板には何と書いてるのか。この写真の建物を映りこませるとすると、すずさんは電車通りを挟んだ護国神社の鳥居の前あたりに座り込んでいるのがよさそうだ。護国神社の鳥居は、原爆の爆発があまりに至近距離だったために、圧力が上からのみかかって、倒れずにあの災厄を生き残った。そういうこともあって、鳥居も、その前にあった狛犬や灯篭もすべて写真があるのだが、残念なことに、鳥居が見える位置にすずさんを座らせるとちょっと奥まりすぎていた。ということで、結構細部がわかる鳥居は今回の画面には描かれない。
現代にいるわれわれにとっての12月8日は、ほとんど何の意味も持たないあっけなく通り過ぎてゆく一日でしかなくなっている。今日もやってくるレイアウトをチェックし、原画をチェックし、打ち合わせをし、そうして暮れてゆく。
目の前にあるカットは春のものもあれば、真夏のものもあり、冬のものもあって、季節感が混乱する。
背景をチェックしながら
「柿の新芽っていつ出るんだっけ?」
などといった次には、同じ景色の上に入道雲がそびえるカットが回ってくる。その後、表へ出て空気が寒いことに愕然とする。そうしてようやく今が12月、今日が8日だということに気がつく。