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片渕須直監督コラム「すずさんの日々とともに」

   少し暖かくなって来た。春一番もすでに吹いたらしい。気候がよくなるのはよいことだが、今の自分たちにとっては季節の移ろいはちょっとした恐怖でもある。制作スケジュールの残り時間を数える時計がまた進んだことを如実に示すものだから。
   すずさんを取り巻く季節は、昭和19年でも20年であっても、なかなか気を許しにくい。両年とも雪が多かったことは前にも書いたが、春一番らしい風が吹いたことを2月の中に見出しにくい。大風ということでは、確実なのは20年3月9日から10日にかけて大風が吹いたらしいことで、後者は実は東京下町焼夷弾空襲の日に当たる。東京空襲の日の天候は、以前スタッフとして参加した『うしろの正面だあれ』という、この空襲を題材にしたアニメーション映画を作るときに調べたりもしたのだが、その話はまた3月になったら書くことにしよう。今はすずさんの周辺の2月のことだ。

   何度目かの繰り返しになるが昭和20年の2月は寒く、雪も多かった。そのあいだ、洗濯はどうしたのだろう、などと考えてしまう。そう思っていたら、この時期に呉付近にいた何隻かの軍艦の洗濯や布団干しの記録が出てきた。
   20年2月13日、駆逐艦「雪風」、呉。総員被服洗濯。この日は正午の気温が3.7度。お天気は曇り。
   2月18日、駆逐艦「雪風」、呉。総員寝具干方。この日も正午の気温は3.4度。ただし快晴。
   2月21日、駆逐艦「磯風」、大津島。総員被服洗濯。正午気温は3.7度、日中は晴だが、夜になって雪。
   2月23日、駆逐艦「磯風」、大津島。総員被服洗濯。正午気温は10度、強風。この日に吹いたのがこの年の春一番だったのかもしれない。しかしながら、寒風だったという。
   2月27日、駆逐艦「磯風」、柱島。総員被服洗濯。このあたりから気候が緩んで暖かくなり始めてゆく。

   軍艦といえども、大勢の人間たちがその上で生活しているのだから、毎日毎日食事を整えなければならないし、あまり日をおかず洗濯もしなければならない。艦上での洗濯は、洗濯機などという文明の利器に頼ることなく、オスタップと呼ばれるたらいを使って、手洗いする。真昼でも気温が4度に満たない日でも、雨さえないのであれば洗濯を行わなければならなかった。
   洗濯と物干(海軍では「ぶっかん」と読む)の場所はほとんどの場合、艦首の甲板の上だ。当時の軍艦は舳先の甲板で洗濯をし、そこにロープを張って洗濯物を干した。ロープに留めるのに洗濯バサミは使わない。水兵服には裾にあらかじめ穴が開いていて、そこに紐を通して洗濯ロープにくくりつけた。
   物干作業まで終えた軍艦は、主砲塔よりさらに前の甲板に洗濯物が鈴なりになった姿になる。呉軍港の停泊艦たちも、何日かごとにそんな格好になっていたはずだろうと思う。

   洗濯についてはやや分かりかねていることがあって、それは本土空襲開始後、特に敵戦闘機が機銃掃射を始めるようになった時期のことなのだが、屋外に物干しをするなとかそうした市民への通達が出されていた気配にどうも出くわさないでいる。機銃掃射に狙われるから白い服を着るのはやめろ、とあれほどいわれていた中にあって、洗濯物はどうだったのだろう。
   ともあれ、それも来月以降に心配することだ。
   すずさんの頭の上に空襲がやってくるのは20年3月になってから。それまでは空襲警報が鳴ることがあっても、まだ一面平和な日々が続いている。

2016年2月19日