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片渕須直監督コラム「すずさんの日々とともに」

   昭和20年4月のすずさんの周辺。
   原作『この世界の片隅に』では、この月前半のエピソードが二編描かれているのだが、それ以外の日々にすずさんが何をしていたのかが少しだけあらわになった。
   というのも、「片渕須直監督による『この世界の片隅に』(原作:こうの史代)のアニメ映画化を応援」クラウドファンディングに参加下さった方々には、季節の折にすずさんから葉書が届けられることになっているのだが、その最新のものがこの4月に支援者のお手元に届いただろうからだ。どうも去年(昭和19年)の春と同じく、この年もすずさんは家の周りの野の草を摘んで料理に励んでいたらしい。
   そのほかにも今回のものは、秋口、晩秋、冬と届いてきたこれまでの「すずさんからの手紙」と少し違っているところがある。葉書を裏返して宛書のある方の表側を見ると、楠公の絵柄がオレンジ色から青緑に変わり、額面が「参銭」から「五銭」に変わっているのがわかるはずだ。これは、ついこの間の20年4月1日に郵便法の改正が施行され、通常郵便物の料金が一斉に値上げされたことによる。書状が7銭から10銭に、通常葉書が3銭から5銭に、往復葉書は6銭から10銭に変わってしまった。新しい額面の葉書が旧来のものと見分けられるように額面のところの色も変えられているのだった。
   もちろん、旧の3銭の官製葉書に2銭分切手を貼り足して使うことが出来るのは今と同様であるし、それどころか20年2月1日以降は使用済みの葉書に薄い紙を表貼りして私製葉書として再利用してかまわないというリサイクル葉書すら認められるようになっていた。用紙不足もここに極まっている。
   今回のすずさんからの葉書は青緑色の楠公の官製葉書なので、ついこのあいだすずさんが郵便局まで出かけて買って来たばかりの葉書にしたためられたもの、ということになる。すずさんからの便りを手にした方は、この葉書を書いた頃のすずさんは、3月下旬から4月上旬にかけて呉や広島湾に航空機雷を敷設しにやって来るB-29の空襲警報で眠れなかったあのすずさんだった、と思い出していただければありがたいかも知れない。

   昭和20年4月16日以降は九州の南半分が戦場になっている。アメリカ側が「アイスバーグ(氷山)作戦」と呼んだ沖縄戦が始まり、これに対応して日本側の航空兵力が南九州各地の航空基地に機動集中して来るのを破砕すべくこの地方への空襲が相次いだ。日本側の航空兵力というのは特攻機が主体であり、さらにそれらを援護するために、3月19日艦載機空襲では呉を防衛した松山の紫電改部隊なども九州へ移動して行った。
   3月9日の東京下町空襲以来、大都市に対して行われていた市街地への大規模焼夷弾夜間空襲もこの時期には休みとなり、マリアナのB-29は鹿児島、宮崎、大分、福岡などの飛行場への空襲を繰り返した。
   4月中旬から5月上旬までの3週間ほどは、日本の中で九州だけがほぼ唯一大規模な空襲を引き受けている、という状況だった。
   その間もすずさんたちには安らぎは与えられない。夜間航空機雷敷設攻撃こそなくなっていくらか眠れるようになってはいただろうが、九州を目指して飛んで来るB-29がいつそれ以外に針路を変えるかも知れず、すずさんの周りにも警戒警報は盛んに鳴っていた。
   そうしている中にも、新緑が萌え、青麦が実り、山吹や藤の花が咲くようになってゆく。
九州だけが被災するこうした様相は、5月5日の広空襲で転換する。「広」はすずさんが住む呉の市内にある地名であり、すずさんの家からは休山の向こう側、夫の父親である円太郎が勤務する第十一航空工廠と広海軍工廠が爆撃の目標とされた。空襲は結局はのんきに暮らしたいすずさんの頭の上に戻ってくるのだったが、4月のすずさんはそれをまだ知らない。

   今回はなぜか九州での震災と関連があるような話題になってしまったが、他意はない。すずさんがごくふつうの暮らしを当たり前に送ろうとしていたように、被災地の方々の上にも安心できる日常の生活が一日も早く戻って来ますように祈りたい。

2016年4月22日