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片渕須直監督コラム「すずさんの日々とともに」

   この4月21日にイギリスのエリザベス女王が90歳の誕生日を迎えたそうだ。ということは、エリザベス女王はすずさんの1歳年下、すずさんの年子の妹のすみちゃんと同い年ということになる。
    戦時中のエリザベス女王、もとい、この時期はまだエリザベス「王女」の写真では、軍服を着ているものが多い。1945年5月8日のVEデー(対独戦勝日)に国王や王家の家族たちと並んで宮殿のバルコニーに立ったエリザベス王女はやはり軍服を着て写真に写っている。もっともこの日には、セレモニーの前に表の一般群集に混じって「国王出て来い!」コールをしていたという少女っぽい話もある。
   エリザベス王女が軍服を着ていたのは、陸軍の補助車両部隊などで軍務についていたからだった。当時のイギリスでは、女性では上流階級の子女くらいしか運転免許を持っていなかったからでもあるのだが、それ以前に、戦時のイギリスでは「国民奉仕法」が施行されて、女性も総力戦のために動員することが行われていたことがまずあった。
   イギリスはすでに第一次世界大戦で国を挙げた総力戦を経験していて、第一次大戦当時すでにFANY(応急看護義勇部隊)が編成されて上流階級の娘さんたちが制服を着て救急車を乗り回したりしていた。そういう伝統がすでに醸されていたのだった。

   日本では日中戦争が始めての総力戦となり、そのまま太平洋戦争へとつながっていった。
   総力戦というのは、国家が行う戦争のために国のあらゆる分野を動員して使うということであるのだが、つまり私権が大幅に制限されることになる。その最大のものは「徴兵」なのだが、これは満20歳以上の男性のうち徴兵検査で合格した者に限られていた。もっとも合格基準はどんどん引き下げられていったし、満20歳という資格要件も昭和19年には19歳にまで引き下げられていた。
   それ以外の男性や女性たちは戦争に無関係だったかというと、やはりそうではない。男性では、工場での生産労働に従事させられるために「徴用」という扱いで強制的に動員されることがあったし、女性の場合も非強制としての女子挺身隊への募集が行われたところから始まって、次第に強制力を増してゆき、昭和19年8月以降では「14歳から40歳までの無職の未婚女性」が工場労働などへの強制動員の対象となった。
   戦時中の呉市は実に40万人もの人口を抱えていたというのだが、その内のかなりの割合が徴用工や女子挺身隊、さらには勤労動員された男女学校生徒たちが、それぞれ市内で入寮していたその数だったはずだ。
   女性の動員対象は「未婚」で「無職」とされているが、例えば明確な雇用関係なしにフリーの立場で働いている女性は(当時でもそういう人はいた)、無職とみなされた。

「未婚」という方の条件を考えるとき、『この世界の片隅に』というこの物語は、絶妙な設定の上にあるのかもしれない。「昭和19年、18歳で呉にお嫁に行ったすずさんの日常生活」を描いているわけなのだから。
   19年2月の時点ですずさんが周作さんのお嫁になっていなかったら、工場へ引っ張られて、毎日寮から工場へ行進して出勤し、一日働いて、食事は脱脂大豆糟まじりのご飯が毎日続く、みたいな毎日がたらたらと続くばかりになっていたかもしれない。
   実際、妹のすみちゃんはそんな日々を送っていたのではなかと思う。そんなすみちゃんの「日常」にすら、監督官の若い陸軍将校に恋心を抱くような、その年頃に当然あってふさわしい気持ちの高鳴りは潜んでいたのであるけれども。
   いわゆる「戦前」の時代にあっては、女性の平均初婚年齢は23歳程度だった。この頃にあってすでに「18歳でお嫁に行く」というのはそれほどごくふつうのことではなくなりかけていた。
   この女性の平均初婚年齢は昭和7年から上がり始める。今眺めている結婚年齢の統計では、世の中がもっとも混乱を極めていた戦争後半から戦後すぐにかけての数字が抜けているのだが、戦後昭和23年頃にはまた女性の平均初婚年齢は23歳くらいに戻っているので、戦時中は明らかに「お嫁に行き控え」だっただろうことが理解できる。
   理由として考えられるのは、満州事変以降の「時局」にあって男性たちが兵隊に取られてゆく中で平和な家庭を築く夢など抱きにくくなっていっただろうことだ。

   さて、昭和19年に徴兵年齢を19歳に引き下げてしまったなら、昭和20年にはもう20歳で徴兵できる男子がいないことになってしまう。なので、昭和20年にはこれがさらに17歳、18歳にまで引き下げられてしまった。時期的にはすでに沖縄戦が始まっている頃でもあり、ここで動員する新兵は南方や中国の戦場に送るためのものではない。秋以降に予想される米軍の九州上陸作戦に向けてのものだった。軍属だった周作さんが軍人になったのも同じような意味合いだった。
   原作20年4月のエピソードですずさんたちの町内会では、ご近所の刈谷さんの息子が応召されるのを見送っているが、時期的にみて、この刈谷さんの息子は17、18歳で兵隊にとられることになったその一員なのだろう。
   17歳まで徴兵年齢を下げてしまうと、昭和21年度にはもう新規に徴兵できる男子はそれ以下の年齢の者しか残らない。実はそうした年少者も20年度には国民義勇兵として徴募されることになっていたのであり、いずれにしても昭和21年度以降の戦争継続はもう不可能なのだった。
   国民義勇兵役というのは、女性にも適用される。こんどばかりは結婚しているすずさんも逃れられないはずだった。

   VEデーのエリザベス王女の話は、アメリカのSF作家コニー・ウィリスの長編小説『オールクリア』で読んだのだが、戦争が終わる最後の日がうきうきと楽しそうに描かれていて、正直面食らった。がんばるだけがんばったら最後には報われる戦争もあるのだとは、想像したこともなかった。そういうところで、「自分も日本人なんだなあ」と思わされてしまった。

   われわれの4月25日には、6カットの作画打ち合わせを行った。これで欠番40カットを出しながらも、AパートとBパートの作画打ち合わせが全部終わったことになる。
   それでいて、A、Bパートの原画アップは4月30日に定められている。本来はほかのパートの作画を受け持っている社内の原画陣もすべて総動員して手伝ってもらってこれを乗り切ろうとしている。
   戦争の物語を映画にしていると、こういうことだけでもう苦しい気持ちになってしまうのだが、なんとか乗り切ってその先に明るいものを眺めたい。

2016年4月28日