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片渕須直監督コラム「すずさんの日々とともに」

   2013年9月に、こうの史代さんも客員教授を勤めておられる広島の比治山大学美術科で『アニメーション監督片渕須直の世界』の世界と題して、特別講義と展示をしていただいたことがある。結構な壁面をいただいてしまった展示では、この頃すでに『この世界の片隅に』のレイアウトをパネルにしたりしている。このとき作っていただいたポスターを見返してみると、すずさんだけではなく『マイマイ新子と千年の魔法』『花は咲く』『アリーテ姫』『ブラックラグーン』や『エースコンバット04』に至るまでのスチールが並んでいる。実際にはもっと原初にまでさかのぼって、初監督作である『名犬ラッシー』や、さらにはまだ学生と掛け持ちだった頃の仕事『名探偵ホームズ』や『リトル・ニモ』に関するものまでを展示していただいていた。
   そうした展示物というのは、あらためてそれぞれの作品の制作会社から取り寄せたのではなく、あらかた自分の家の物置から発掘したものばかりだった。物持ちがよいというより、段ボール箱につめてずっと仕舞いこんだままほったらかされていただけのものだった。
   何か展示物になるものはないかと物置のダンボールを片端から開けていったとき、こんなものがまだあったのか、という驚きにしばしば見舞われた。忘れかけたままになっていた記憶がいくつも蘇ってきた。
   そんな中に、一枚の落書きのコピーがあった。まだテレコム・アニメーションフィルムに在籍していた頃、スタジオ全体としてフランスとの合作に携わったことがあったのだが、この落書きにはそのときのフランス人監督が描かれていた。ほかにいたフランス人のスタッフが描いたものだった。落書きの中には、このフランス人監督の前に髪の長いジーパンばきの女性が立っていた。さらに女性のうしろにはまごうかたなく当時の僕である若造の姿が描かれていた。
   女性は二木真希子さんだった。フランスから来た監督が描いた絵コンテを原画にするにあたって、自分なりに考えてこれこれこういうふうに内容を変更したいのだけど、と二木さんが言い、それならば監督自身に話を聞いてもらおうではないかと、演出助手だった僕が介添えして、その前に立ったのだった。珍しい光景だと思われたのか、その場にいたフランス人アニメーターがさらさらとイラストに描いて壁に貼っていたのを、こっそりコピーして手元にもっていたのが、はるかな年月を経てダンボール箱の奥から出てきたというわけだった。
   このとき二木さんが何をどう変えたいと提案したのかは記憶の彼方におぼろになってしまっている。もう、35年近い昔のことなのだ。けれど、自分たちで考えて、自分たち自身がやりがいを感じる仕事を作り出して行きたいという思いに駆られていたことは、体に焼きついているかのように覚えている。
   まだ学生の身で飛びこんだ『名探偵ホームズ』の現場で、いつか自分も自由に絵コンテを切りまくる身になりたいと、ひそかに絵コンテの練習描きをしていたら、いつの間にのぞき見されていたのだか、二木さんは、
「あのシーンは原画を描いてみたい」
   といってくれたりもした。二木さんもまだ原画を描きはじめてからそんなに経たない時期のことだった。

   あの落書きに描かれてしまった若い日々から、僕らはどこまでたどり着くことが出来たのだろうか。
   二木さんはこの2016年5月13日、58歳で亡くなった。
「まだ若いのに」
   という声をインターネット上でたくさん目にした。それはほんとうにそのとおりなのだが、それより以前、病気治療のために入院していた病室に見舞いに出かけたときに、
「もう来年の誕生日が来たら還暦なんだよ」
   という話が見舞いの仲間から出て、来し方の遠さに呆然としたりもした。いつの間にそんなに時が経ってしまったのか。
   そんなふうに二木さんを囲むために、久しぶりにテレコムの2期生、3期生で集まった。僕は2期生でも3期生でもなく、間で潜り込んだ身の上だったのだが、2期生の遠藤正明氏が二木さんのご親族に「この人は3期生」と紹介してくれていたので、おおむねそんな認識だったのだろう。
   テレコムで過ごした20代には、いっしょにいろいろなことをした。仕事が忙しくない時期にはみんなで映画を見に行ったり、パフェやケーキをいくつ平らげられるか賭けをしてみたり、まとまって休みが取れるときにはいっしょに旅行に出かけたり。
   そうした時間を一緒に過ごした顔ぶれが久しぶりに集い、
「この前会ったのはもう10年前だっけ」
   というような会話になる。けれど、どんなに久しぶりであっても、その間にそれぞれが色々な経験をつんできていたとしても、すぐに「あの頃」の気分が蘇ってきた。若さにあふれてしまう時期をいっしょに経験したほとんど同期の人たちとは、離れ難い何かなのかもしれない。
   来年に心積もりしていた二木さんのお祝いのためにやはり集まろう、2期生出身の浦谷さんがみんなにそう約束させていた。

2016年5月28日