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丸山正雄プロデューサーのコラム「マルジイのメッケ!」第一回「ポーポー」

   思えば丸山が練馬富士見台の虫プロを離れて杉並阿佐ヶ谷で仲間とマッドハウスを起こしたのは、欅並木の中杉通りにある材木屋の2階だった。材木屋は当然木が多い。木の感触、木の香り、木偏のものは大好きだ。桜、檜、欅、楓、楡……。畏友、村野守美は森の中に、あるいは道端に切り捨てられ忘れ去られた切り株を描く時、必ず新しい生命の息吹である蘖を書き添えた。

   虫プロを卒業して阿佐ヶ谷の材木屋の2階からスタートする我々はさながら蘖のような気持ちだった。
   自由奔放、豪放磊落、傍若無人、繊細弱気という相反した相貌を併せ持った村野は、切り株から萌出でようとする小さな生命「蘖」に瞠目する。そのやわらかく優しい画は村野の瑞々しい感性に象徴されてると思うのだが、話は村野のことでも蘖のことでもない、丸山は気が多いということである。
   街を歩ってて向こうから来る人は綺麗だなとか、かっこいいなとか、連れて歩く犬が欲しいな連れて帰っちゃおうかなとか、あのマフラーいいな欲しいなとか、この匂いは何だ? 美味しそうだな、あのレストランの看板はセンスがいいなきっと美味しい料理が出るにちがいないとか、今聞こえてきた歌謡曲は誰が歌ってるんだろうか? とか、四六時中際限なく思いは拡がってゆく。もっともそれらの情報が全て常に頭に流れ込んでいるかというとそうではない。人間の脳は巧くしたものでキャパシティに限りがあるらしく、自分の興味のあることだけ取り込んでくれるのでパンクすることは勿論、疲れ果てることも全くない。政治経済の情報は全く頭に入ってこない、もっぱら人間、動物、植物への好奇心だ。
   樹木には虫がつく。そうだ好奇心の虫のせいだ。そうしてみると若くして虫プロに入ったのは虫に惹かれたからで、ひょんなことで虫プロに入ったと思っていたのだが存外偶然ではなかったのかもしれない。好奇心の虫が疼いたのだ。
   疼く、蠢動する、この言葉も好きだ! 何か艶かしいというか猥雑な響きがいい。もっと若くしてイケメンだったら芸名を小山薫堂の向こうを張って丸山蠢動としたいぐらいだ。
   前置きが長くなったが、このコーナーは72年生きてきた丸山がめっけたヘナげなもの、美しいもの、美味しいもの、感動したもの、映画、本、音楽、食物、グッヅ、温泉…手当たり次第取り上げていこうというものだ。多分その臍曲がりの性格から、端っこに追い遣られ忘れ去られようとしてるものを取り上げるに違いないのだが……。

   さてこれからが第一回、ポーポー。今年11月、宮城蔵王の温泉に行った際にめっけた果物(?)だ。見かけはアケビやフェイジョアに似てなくもない。薄く皮を剥いて食べるのだが、薫りはバナナが熟したようで、薄っすらと甘い味で、バンレイシ系というか中にチェリモヤのような真っ黒で大きな種が入っている。因みにドリアン、ジャックフルーツ、チェリモヤ、ライチ(そういえばライチが生で輸入され出した時、それまでの冷凍ものとは全く異なる生の瑞々しさ美味しさに、これからはこれだけ食って生きようと決意した。ところが今は全く忘れはて、最近急に出回ってるル・レクチェやスチューベンに血道を上げている浮気者ではある)など、南洋系の果実に目がない。

   ポーポーはどう考えても南洋系果実と思えるのだが、なぜこれが蔵王山麓の八百屋の店先に? 謎である。
   と、ここまで書いて思い出したのだが、確か数年前どっか温泉に行った時に何かの珍しい苗木を買ったことを思い出した。そうだすでに数年前、不思議な植物に魅入られたはずだった。ベランダの奥を捜してみたら、あったあった。当然葉は全て落ちてるのだが、まだ大丈夫活きていた。名前札にはポポーと記されていた。

   ゴメン放っておいて、あんなに興味があったはずなのに日常とは余りにもかけ離れた植物なのですっかり忘れていた。結局、果実にしか興味がなかったのかも。しかし、木はまだ生きていた。ひょっとして来年あたり果実が実ったりはしないだろうか。
   確かどこか過疎の村で、村興しにポーポーを栽培してる所があったはずだ。長野辺りだったか? 週刊新潮に有名人が探し物をする掲示板のペイジがあるが、有名人ではないのでそこで調べてもらうわけにもいかない。はてさてまたいつ巡り会えるのか? 愛しのポーポー。憧れのポーポー。「高野」「 千疋屋」で大枚叩いても手に入らないポーポー。それゆえその官能的な薫りと味をいよいよ喚起させ夜毎老体を蠢動させる。