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丸山正雄プロデューサーのコラム「マルジイのメッケ!」第二回「いのちのはじめの一歩」

   『はじめの一歩』の3期シリーズ『はじめの一歩 Rising』が終わった。思うに苦難の日々であった。
   確かに俺(たち)は、前の会社マッドハウスで、2000年10月から2002年3月までかけて1期シリーズ・全76話、2009年1月から6月までかけで2期シリーズ・全26話を手がけた。1期の西村監督、それを引き継いだ2期の宍戸監督。三間音響監督率いるキャストの面々――これがデビュー作となった一歩の喜安君、支えてくれた鴨川会長の大御所内海さん、鷹村の力也さん、青木の渉さん、木村の藤原さん共々、忘れられない、そして、愛着深い作品になった。
   そこで今回の3期シリーズである。前の会社を離れ、日テレ傘下でなくなったことで制作に参加出来ることはないと思っていたのだが、MAPPAでやらないかと声をかけていただいた。
   しかし、1期シリーズ、2期シリーズのスタッフはすでに離散しており、再結集は殆ど不可能だった。それでも、俺は『一歩』への思いを断ちがたく、更に持ち前の「困難ならばやってやろうじゃないか」の想いが頭を持ち上げ、周囲の反対を押し切って制作に踏み切ってしまった。MAPPAとしては次の作品が決まっていて、とてもそんな余裕はないというのにだ。
   結果今回の『一歩』に関わってくれたスタッフに無理を強いることになってしまった。世界観に慣れてるのは、俺と監督と脚本のふでやす君と音響スタッフだけ。作画に関してはほんの数人、経験者にお手伝い願えただけの、全くゼロからのスタートでやらざるをえなかった。

   そう。3期シリーズは文字通り、血と涙の結晶に他ならない。しかし終わってみれば、もしかして俺は最初から、こんな作品を作るために50年アニメをやっきてきたのかもしれないとさえ思ってしまっている。なまじっか完璧に仕上がったものは他社(他人)任せておけばいい。多少乱暴でも、こんな風に荒々しくストレートに、想いが込められたものが、俺は好きなんだ。これこそが俺のアニメなんだ。この想いがマッドハウスを作り、MAPPAを作った全てではなかったのではと。
   『あしたのジョー』で出崎と出会い、マッドハウスで作品を作りはじめ、『はじめの一歩RISING』をMAPPAで宍戸と西村とやれたことは何やら運命的とすら感じる。
   宍戸監督はよくやってくれた。TVシリーズの監督としては『花田少年史』の小島正幸、『ちはやふる』の浅香守生に迫る勢いではないかと思う。体制が出来ていなかった分、宍戸君の貢献度は大きいかもしれない。
   19話、20話、21話は鷹村・イーグル戦である。いつもの通り無茶ぶりの鷹村と冷静沈着なイーグルとの闘いの苛烈さは当然のことながら、鷹村と鴨川会長との関係が丹念に丁寧に描かれている。鷹村は「老い先の短いじじいを待たせるわけにはいかない」と、自分の目が失われるかもしれないことを覚悟しつつも、イーグルとの死闘を闘い抜くのだ。あの我が儘で自分の都合でしか考えない鷹村がである。21話のラストで鴨川会長が言うセリフが今の俺には染みる。「ワシにとって奴(ら)は世界一の孝行息子じゃ」 ……そう、宍戸監督、怒鳴られながらも、最後まで徹夜で頑張ってくれた制作のスタッフ、あなたたちは「俺にとって世界一の孝行息子じゃ!」
   そう言えば俺は『トムとジェリー』が大好きだ。特にあの主題歌は世紀の傑作だと思う。「仲良く喧嘩しな」というあれである。仲よく喧嘩するという抜群の発想はどうだ! あの詩はアメリカで作られたものを翻訳したのであろうか? 仲良しと喧嘩というアンビバレンスな語彙を一緒にすることで全く新しい世界を作り上げる。この手腕はもしかして、サトウハチローか三木鶏郎か、そのDNAを受け継ぐ、野坂昭如や永六輔といったラジオやCMの手練れによるものではないかと思えるのだが、この作詞家(翻訳家?)を誰か知ってる人がいたら教えてほしいのだが……。
   いずれにしろ仕事は、人生は、仲良しだけでは成り立たない。無論喧嘩だけは論外。仲良く喧嘩することこそ唯一の道と考える俺は、鴨川と鷹村の関係にそれを見た!

   今更ながらではあるが「はじめの一歩」は、原作の森川ジョージ先生が全てである。我々アニメスタッフは森川精神を損なうことなく語り継ぐ、メッセンジャーに他ならない。そして、22話、23話、24話、25話の西村監督による戦後編。敗戦国の若者がアメリカ兵に誇りを賭けて、拳ひとつで立ち向かってゆく、原作でも最も心打たれるエピソードである。日本の拳闘がアメリカのボクシングに出会って花開いていく、スポーツ歴史の文化論でさえあるのだ。
   そして、ひとりの女をめぐって二人の男の友情が語られるドラマは、山本周五郎「柳橋物語」「さぶ」から池波正太郎「鬼平犯科帳」の鬼平と左馬之助まで、大好きなストーリー展開なのだが、鴨ちゃんと猫ちゃんは、その王道をしっかり守ってくれる。傷ついた拳で鴨川の頬を打つ猫田、その力のない拳に涙して「効いた」と答える鴨川。対戦相手アンダーソンの豪腕から繰り出される拳も、猫田の心のパンチを受けた猫田には耐えられるのだ。
   「男は愛嬌と純情」を描いた見事な原作をどこまで表現できたか、今はまだ冷静に判断することはできない。ただ、俺はこの3期シリーズをやって良かったと思っている。3期シリーズに関わってくれた皆には感謝感謝である。
   そして最後のテロップにも出させてもらったが、スタジオで会う度に俺のことを「じじい」「じじい」と呼んでくれた内海さん、丸山のタイトルの半分以上の作品に出てくれた永井さん、星一徹の硬派が持ち役なのに今 敏監督の『東京ゴッドファーザーズ』で二丁目のおかあさん役を「どうして俺がこんな役を?」と言いながらも嬉々として演じてくれた加藤精三さん。我々の日本アニメを支えてくれていた偉大なる声優さんを次々と失ってしまった今、ただ呆然と立ち尽くすのみなのだが、内海さんが鴨川を、永井さんが猫田を残してくれた。この縁を胸に、今はちょっとだけ休ませてもらおう。
   ありがとう、森川先生。ありがとう、一歩。ありがとう、鴨川と猫田を継いでくれた飯塚さん、山寺さん。ありがとう!